1633年12月6日。
徳川3代将軍、徳川家光の実弟”徳川忠長”が自殺した日。

家光幼名”竹千代”と家光乳母である”春日局”
       vs
忠長幼名”国松(国千代とも)”と兄弟の実母である”江”

その確執話は有名だ。
やがて、家光が3代将軍になり、兄弟の実父である2代将軍秀忠が亡くなると(長野地方に強制蟄居されていた)忠長は家光の命により蟄居より更に幽閉される事となる。
それより数日後、忠長は28歳の若さで自らの命を絶つ。
※忠長蟄居の要因となった熊本城主:加藤忠広(加藤清正の息子)の家臣であった齋藤俊光(春日局の実弟)はこの事件前、偶然にも暇乞いし、熊本より退去している※

切腹ではなく、脇差しで喉をついての自殺であったらしい。
(私はそこに、忠長のプライドが見えるような気がしてならない)

さて・・・
私は”おふく”と名乗らさせていただいているわけだが、”おふく”という名は”お福”。”春日局”の本名である。
歴史上で最も尊敬する女性である。

上のお話より入った人は”家光&春日局”像を酷いと想像するだろう。(かな?)
でも逆に、家光側や春日局側のお話から入った人は?

誰が”善”で、誰が”悪”か?
人それぞれの背景や生い立ちを知ると”善””悪”など決められるものではないという事が分かってくる。(根っからの暴君については微妙だが・・・)
そこに歴史の面白さがあると私は思っている。

(転じて)
私の周りの人達に対しても同じく、一つの出来事で人を判断するものではない。人には必ず何らかの理由がある。だから簡単にその人が嫌いとかは言えないものなのだ。と思う。
・・・・まぁ、要するに”長い眼でみよう”。そんな感じ。

今日、この日、不運な最後に終わってしまった忠長さんを思って日記を書いた。
合掌。

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