あまり。というか、ほぼテレビを見ない私が珍しくテレビをつけてみた。(因みに旦那はまだ仕事)
某48人のアイドルが出ていた。
あー。世の中平和だなぁ。と思った。
そしてすぐ消した。

思い出したことがある。
幾日か前に見たお昼の関西ローカル番組にて、出演者がこう言っていた。
「やっぱりな、みんな学生できるうちにしておいたほうがええんやって。普通に恋して、普通に勉強してな。年いったらそんなこともできひんやんか?な、そうやろ?」

ああ、確かにそうだな。言いたい事は分かる。

そのローカル番組の話題は”某元アイドルグループである●●。自殺未遂”の件だった。
普通に学生やっていたら違う道もあったのかもしれない。
けれど後になって、ああしておけばよかった、こうしておけばよかったと後悔しても遅い。
逆のバージョンもあるかもな。
ああ・・・あの頃やっぱりアイドルなってりゃよかったなぁ。とか。

時というのは元に戻せないのだ。
一分一秒。
今こうしている私も、さっきには戻れない。もちろん遠い過去にも。

あの頃、一生懸命生きていれば別の人生もあったのかもしれない。
そう、思うこと多々あり。
今、幸せなはずなのに。

「ま、いいか」
そんな性格でよかったとつくづく思った次第。

なんだろう。
分からないから書いてしまった。

http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/obituary/?1313328148
「萬田久子さん 涙でプロポーズ告白」

分からないというのは、私の旦那になってしまった人は旦那になってよかったのか?
ということだ。
私は、
煙草は止めたが酒飲み。で、自由奔放。子を作る能力なし。

全ての人において、
結婚したからって、幸せがあるのか?(まぁ、そうだろうけど)
結婚しなかったからって、幸せはないということなのか?(そうではない)

結婚しても幸せと言えるのか?(それは本人が決める事)

しかし、籍を入れるというのは公に認められるということの自己満足も得られることで。

萬田さん。何だろう・・・。
何て行ったらいいか分からないけれど、故人(萬田さんの夫)は、凄くあなたに愛されていたのだからそれが充分だと思う。
だからそれでいいと思う。

充分に幸せだと思えるのなら、人生それでいいと思う。

”思う””思う”だけの日記になったけれど、本当にそう思うから。
30(歳)超えても発展途上な自分をうらめしく思うわ。

本当の幸せとは何か?
そんなの、生きてる間に見つけられるもんじゃないな。
ほんと、そう思う。

そうだな・・・

2010年6月6日 思考
一日中、旦那不在の今日は
気合を入れて午前中に掃除を済ませ、あとはゲーム三昧の日にしようかと・・・思ったが、最近の寝不足ゆえ急に睡魔が襲ってきてバタンQ(古)。

「うわーっ!!!ちょっ・・・何なんっ!?そんなん見せんなやぁ~っ!!」
窓を開けて寝ていたので、外から聞こえてきたビックリ声に目が覚めた。
17時になっていた。
「何やねん・・・」
と思いつつ、目が覚めた自動的に外の郵便受けを確認しにいった。

「あ・・・・」
ドアを開けると、あのビックリ声の意味が理解できた。
玄関近くの溝にデッカイねずみの死体があったのだ。

「うむ・・・」
散々悩んだあげく、ビニール袋に入れ、ゴミ収集所に捨てることにした。



「でも・・・」
なんか、なんかなんだよな・・・。
罪悪感があって。
だもんで、小さいスコップと植物用のハサミを持ってゴミ収集所に戻った。
ゴミ置き場に置いた袋は重いと感じた。
それ程大きなねずみだったな・・・、そう思い出しながら袋を下げ、近所の公園に向かった。
なんとか柔らかい土のところを堀りに掘って、30cm位に到達したところでビニール袋を入れようとしたが、このままじゃ土に返れないと思い、ビニール袋からゴッソリと土穴の中へ落とした。「ねずみさん、落としてごめんなさいね」とか何とか言いながら。

土をかぶせ、その上に石を三段つみかさね、そばに大きなおかめつた(花を添えたかったが、見当たらず)を代わりに添えた。
そして、成仏してください・・・と手を合せた。

ビニール袋からゴッソリ落とした時、ねずみの痛々しい顔が見えた。
尻尾からして恐らくドブネズミあたりだろうか。
気持ち悪いとは思わなかった。ただ可哀想だと思った。

私が起こされた「うわっ!何なんっ!?」という外からの声を思い出していた。
ねずみの死体が私の家の前でなかった時の事を考えた。
恐らく、私は「気持ち悪い」と素通りするだろう。

自分の薄情さが哀しくなった。

そうだな・・・
今でも思い出す。あの”死に顔”を。
眠っているのとは違う、何だか、本当に死んでしまっているのだな・・・というあの顔を。
自分にあてはめてみて・・・
恐いと思った。
自分の右と左の指を絡ませた(組んだ)状態でその時の精神状態が分かるのだという。

私は右利きだから左指と右指を絡ませた時、自分から見て右の親指が手前に来ているのが、”気持ちユッタリ加減な精神状態”だという。

さっき、絡んだ自分の指を見たら左親指が手前にきていたので「あらま」と、それを見て不安に思った。

ま・・・でも・・・、占いと同じか?な?

”悪い”と言われれば「そうかも・・・」と思うし、”良いかも”と言われれば「嬉しい」と思うし。
絡ませた指のセオリーも同じものなんだよな。

・・・とは思うけれど、やっぱりショウシミンな私は”悲劇のヒロイン”だと自賛(?)してしまうそんな所が自分の嫌なところ。
まぁ、一時間後位にはこんな話題は忘れているだろうから、さほど気にはしなくてもいいか。

そんなこんなの話・・・
実を言うと、二月初旬に私は誕生日を迎えていた。
あと1歩か2歩で三十路へ突入する。
中学生自分、早く30代後半の”イイオンナ”になりたいと憧れたもんだ。
今でもそんな願望はあるが果たして”イイオンナ”とは?

うむ・・む・・・
考えても無駄。
価値観は人それぞれなのだから。

まぁ、
自分なりに満足いける”人間”であったらそれでいいか・・・

若い頃

2010年2月5日 思考
考えると笑ける程に無茶ばかりしていた。
今もそうだけど。

時事ネタ過ぎて恥ずいけど、朝青龍さんが引退した。
・・・という事は誰しも知っている事だろう。
だって、それだけの話題だったから。

他人の不幸は蜜の味的な面も感じられた連日の報道。
それが、まぁ、『どうの』と言う訳ではないがムニャムニャムニャ・・・

各報道番組にて、朝青龍さんの過去を振り返るという特集をしていた。
「彼は凄い、もう本当の大横綱だったんですよねぇー」とのコメントもあった。

今更『あの人、実は凄い人だったんです』か・・・
で?何?それが何か?

いや、それはさて置き・・・

幼い子や若者が他人に迷惑を掛けた時「親の顔が見てみたい」と、たいがいの人は口にするだろう。
一部ではあるが、”親の責任”的な所もあるだろう。

さて、朝青龍さん。
一部ではあるが、”親方さんの責任”的な所もある・・・・あるかもな。

万人、根本を忘れてしまってはおしまいだ。
私も過去、苦い思い出がある。
でも、私を本当に叱ってくれた恩人の存在があったから『二度と同じ事はしない』と心に誓う事ができた。
私の中に恩人の存在は今でもあり、”二度としない”という根本の一つを今でも大切に守れている。

朝青龍さん、ある意味・・・可哀想な人だったのか?
まぁ・・・私が言える立場ではないか・・・
ま、いいか・・・

言葉の持つもの

2010年1月26日 思考
「おふくさん。そんなに私にあわせなくてもエエし、そこまで私に気ぃ使わんと、もっと自分出してもいいですよ~」
会社の同僚より言われた言葉。

昨日。
その同僚に対してフイに発した自分の言葉が気になって仕方なくて、その夜、『ちょっと言葉足らずだったな・・・誤解を与えていたらどうしよう』と悩んでいた。
ので、次ぎの日(今日)。
「アレはああいう事で、ほんで・・・」(それプラス)「なんかこんなん弁解に聞こえたら嫌やなぁーって思ってんけど、やっぱり伝えなアカンと思ったので・・・」
うまいこと自分の気持ちを伝える事ができず、シドロモドロな私に対し、その同僚より「もっと気楽でいいですよ」の言葉が返ってきた。

うむ・・・
私としては人に誤解を与えたり、人を傷つけたりする事が嫌だから、フォロー(???・・・)をするのは苦じゃない。
だから「気を使わなくても・・・」と言われてもやはり気になる訳で。
でも人によってはそれが鬱陶しく思ったりする事もあったりする訳で。
だから今日、弁解なんかしない方がよかったのか?そうとも思ったりして。

言葉って本当に危険だと思う。
気をつけていても、気をぬいていても、「あ・・・」と思う言葉があるのだから。
でもそれを気にしていたらギスギスしてしまうし。

一生問題だな。こりゃ・・・
笑うしかない・・・
笑うしか・・・

成人式

2010年1月11日 思考
昨日を主に全国で式があったらしい。

朝のワイドショーにて「もう平成生まれの子達が成人式を迎えたんですねぇ~」と、コメンテーターが物凄い笑顔でコメントしていた。

あー。
言われてみればそうなんだー。へぇ。

大して驚きはしなかったが、何だか深いため息が出た。
なんだろう。この空しさは(苦笑)

この三連休。
一日中、土曜は仕事。日曜は寝て。月曜は掃除。
平和に終わった。
でも何もなかったら無かったで何もしたくなくなってパソコンも久し振りに今立ち上げる始末で。
忙しければ忙しいでナンヤカンヤするクセに。
・・・いつもの私の悪いクセだ。

そうそうそう、成人式の話をしていたっけ。
『○○市の成人式典にて、町職員に酔った勢いで暴行をはたらいた2人を逮捕。逮捕されたのは○○(20歳)、○○(20歳)・・・~』と朝刊にあった。

「早速・・・かぁ・・・」
ハタチの洗礼?
というのか何というのか??
名前がフルで新聞に掲載されていたのを見て、(私は別に犯罪歴がある訳ではないが)何故か怖くなった。

『自由と責任・権利と義務. 自由には責任が伴い、権利には義務が伴う』
どこかで耳にしたフレーズを思い出した。
”履き違えてはいけない”のだ。

最近、キレイごとばかり口にしている私・・・
反省反省・・・

100人の村

2009年12月21日 思考
『もし現在の人類統計比率をきちんと盛り込んで. 全世界を100人の村に縮小するとどうなるでしょう・・・』

で始まる”100人の村”。

最近、自分の事がしょーもなく思う場面が多々ある。
酷い時には、”凄く寒いから”と言ってイライラしたりと・・・・

生活面では毎日ネットしたり自分の好きな事したりと充実しているハズだ。
仕事面では(実働時間に限りだが)以前の職場よりはキツイ事ないし。

特に私に当てはまる事なのだが・・・人間というものは一旦ラクをすると更に更にラクを求めてしまって以前していた努力も忘れガチになってしまう。
又は、そんな努力をしていた頃を思い出し「信じられへん」と投げガチになってしまう。
「こんなんじゃダメだ」と反省だけはするのだが・・

フイに、”100人の村”を思いだした。
今、こうしてパソコンの前で日記を書いている。暖房をつけ、パソコンの右側には冷酒もある。
私の周りは好きな事だらけで、十分なハズだ。
世界の何パーセントの方々より恵まれている、十分な生活のハズだ。

さて・・・
明日も仕事だ。頑張ろう。
でも・・・
「喉元過ぎれば熱さ忘れる」とはよく言ったもので・・・
明日は早番だ。(チッ)
と、まぁ、「文句の一つや二つ言わせてくれ」状態でも、恵まれているハズの環境に生まれた事への感謝は忘れず。
明日も頑張ろう。

カルメアデスの板

2009年12月11日 思考
この(下記)話を目にして、一瞬”カルメアデスの板”を思い出した。

兵庫県宝塚市の病院長が今年10月と11月、医療従事者に限られていた新型インフルエンザのワクチンを孫に接種していた。院長は「不正は認識していた。孫がぜんそくで、小学校の受験を控えて心配だった」と説明した。
尚、兵庫県で持病のある人や妊婦に接種が始まったのは11月16日だった。
(9日付:厚生労働省発表)

・カルメアデスの板・
難破して漂流している人が一枚の板にしがみついている。そこに別の漂流者がしがみつこうとする。でも板には一人分の浮力しかない。
そのとき自分が助かるためにもう一人を突き放しても罪にはならない。
という。
・・・そんな論理。

・院長の考え・
喘息持ちでお受験を控えている可愛そうな孫。そこに別の同じ境遇にある子供がいた。でもワクチンは一部関係者でしか使えない。
そこで、孫が可愛くて仕方がない院長は『孫が助かるのであれば・・・』と、関係者外の孫に投与してしまう。
という。
・・・そんな”院長も院長の孫も助かった(かどうか知らない)し、これは身内だけの内緒の話。けれど、他の人は助からない”論理。

あれ?・・・
”カルメアデス”のように、どうしようもない状態でもないじゃないか?・・・
一瞬で話は覆った。
カルメアデスでも何でもない話だった。と。

所謂『怠慢』。
所詮『怠慢』。

日本含め、全世界で多くの子供が命を落としている。
どれ程のぢぃちゃんが悲しんだ事か。ぢぃちゃんだけでなく、家族や友達や・・・。

まぁ、しかし・・・先生という職も辛いと思う。
自分も、自分の家族も他と平等にしなきゃならないのだから。
院長さんの気持ちは分かる。
でも、”特別な命”というモノはないと思う。
医療の”先生”と呼ばれている方なのだから、命は平等なんだという事を忘れないでいて欲しかったと、そう・・・残念でならなかった。

(心の弱い私みたいなのんが医者でなくて良かった。・・・・あ、でも、その前に、アポンな私が医者になれる訳ないか:笑)
フト、思った。
それなりに歳は取れているのかも・・・。と。

我慢する事。
人の気持ちが(大よそ)分かるようになってきた事。
八方美人に磨きがかかった事。(苦笑)
苦瓜が食べられるようになった事。
等など・・・

そしてある方のブログを見てより、思った。
それなりの歳は取れたのかも・・・。と。

幼い頃に見(観)たり聞(聴)いたりした作品の意味が少しづつ分かり始めた事。

大昔、初めて耳にしたソノ曲は「メロディが良い」と気に入り、以後、時々思い出していた。
幾度か口ずさむ毎に、ソノ曲を分析(?)していたのだろうか?
「歌詞が良い」といつの間にか思うようになっていた。

曲ばかりでなく。
小説では”漱石の『こころ』”
絵本では”佐野洋子さんの『百万回生きたネコ 』”

何が「良い」のか?に関して、昔よりはマシな解釈はできているのかな。と思う。
でも、
人の思いで創った作品についての解釈は人それぞれだから、他人の解説に正解はないと思っている。
私の解釈が間違っているかもしれない。
分かる歳になったのかも?に関しては”「いや、しかし」”である。

私はまだまだ発展途上なのだ・・・