あれから約15年
2010年1月6日
夕刊に、阪神大震災の記事があった。
写真のアナウンサーに「あ、この人知ってる」と呟いた。
”その日”。
学生だった私はまだ、故郷の鹿児島にいた。
朝方6時位。突然家中に電話のベル音が鳴り響いた。
「揺れたのっ!怖い!揺れた!揺れた!」
電話を取った母親が聞いた、大阪に居る姉の第一声であった。
鹿児島は活火山である桜島のお陰か?地震には縁遠い土地で。
私が初めて地震の体験をしたのが大阪に来て何年か経った後だった。
(体験したその時は本当に怖くて、気絶する5秒前であった・・・ : 汗)
話は元に戻り・・・・
朝早く来た姉の電話に対し、ウチ全体がブーイングモードであった。
そう・・・
→『地震!?こんな朝早くに電話してくる程じゃなか!大袈裟じゃっどぉ!!』
と。
その頃の私も、朝早すぎの電話に少々キレ気味であった。が・・・
時間が経つに連れ、被害の大きさが尋常じゃない事を知り、姉にできるだけ連絡を取ろうとした。が、回線がマヒしていて繋がらない状況・・・。
そんなこんなな中で着けた取り合えずのテレビ番組、N●K。
アナウンサーが淡々と状況を伝えていた。
私も淡々とそのニュースを見ていた。
そして、最近、その(元)アナウンサーさんの記事に巡り合った。
記事によると・・・
”15年前。
その(元)アナさんは大阪の放送局にて原稿を下読みしていたが、その最中に
地震にあった。
地震3分後。放送は開始した・・・。という。
『地震です。逃げて下さい。』
アナさんは切り出そうとしたらしいが、いつもの通り「おはようございます」と始めたという。
その後・・・、度重なる・・・、悲哀・非情・悲劇・悲惨・非常な情報に心折れながらも「皆様に正確な情報を伝えなければ!」と、7時間・・・。
トイレにも行かず、7時間。画面の前で原稿を読み続けたらしい。”
そして、新聞の原稿は意外な現状を書き綴っていた。
『アナウンサーから宮司に』と。
宮司を引き継ぐにあたっての理由(?)に関して、元アナウンサーさんは言う。「震災だけでなく、ほかの事件事故でも、一体、何人の死を伝えてきたか。魂を沈める仕事もいいかもしれない」と。
なんだろうな・・・。この強さ・・・優しさは・・・。
人間にはどこまでの感情があるのだろうか?
そう、自分の未開地に触れたいと思った。
所謂。もっともっと私は優しくなれるのかもしれない。優しくなろう・・・
そう、思った。
写真のアナウンサーに「あ、この人知ってる」と呟いた。
”その日”。
学生だった私はまだ、故郷の鹿児島にいた。
朝方6時位。突然家中に電話のベル音が鳴り響いた。
「揺れたのっ!怖い!揺れた!揺れた!」
電話を取った母親が聞いた、大阪に居る姉の第一声であった。
鹿児島は活火山である桜島のお陰か?地震には縁遠い土地で。
私が初めて地震の体験をしたのが大阪に来て何年か経った後だった。
(体験したその時は本当に怖くて、気絶する5秒前であった・・・ : 汗)
話は元に戻り・・・・
朝早く来た姉の電話に対し、ウチ全体がブーイングモードであった。
そう・・・
→『地震!?こんな朝早くに電話してくる程じゃなか!大袈裟じゃっどぉ!!』
と。
その頃の私も、朝早すぎの電話に少々キレ気味であった。が・・・
時間が経つに連れ、被害の大きさが尋常じゃない事を知り、姉にできるだけ連絡を取ろうとした。が、回線がマヒしていて繋がらない状況・・・。
そんなこんなな中で着けた取り合えずのテレビ番組、N●K。
アナウンサーが淡々と状況を伝えていた。
私も淡々とそのニュースを見ていた。
そして、最近、その(元)アナウンサーさんの記事に巡り合った。
記事によると・・・
”15年前。
その(元)アナさんは大阪の放送局にて原稿を下読みしていたが、その最中に
地震にあった。
地震3分後。放送は開始した・・・。という。
『地震です。逃げて下さい。』
アナさんは切り出そうとしたらしいが、いつもの通り「おはようございます」と始めたという。
その後・・・、度重なる・・・、悲哀・非情・悲劇・悲惨・非常な情報に心折れながらも「皆様に正確な情報を伝えなければ!」と、7時間・・・。
トイレにも行かず、7時間。画面の前で原稿を読み続けたらしい。”
そして、新聞の原稿は意外な現状を書き綴っていた。
『アナウンサーから宮司に』と。
宮司を引き継ぐにあたっての理由(?)に関して、元アナウンサーさんは言う。「震災だけでなく、ほかの事件事故でも、一体、何人の死を伝えてきたか。魂を沈める仕事もいいかもしれない」と。
なんだろうな・・・。この強さ・・・優しさは・・・。
人間にはどこまでの感情があるのだろうか?
そう、自分の未開地に触れたいと思った。
所謂。もっともっと私は優しくなれるのかもしれない。優しくなろう・・・
そう、思った。
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