何から書いたらいいのか。
昨日の月曜・今日の火曜と、仕事は通常通りこなすことができた。
何だろう・・・
これが現実なんだろう。という儚さを思ったらなんとなく笑けてしまったりして。
先週金曜。うちのカメヤン(オカメインコ)が死んだ。
仕事から帰り、玄関の扉を開けても、玄関から「ただいまーっ!!」って私が帰ってきた事をアピールしても「ピーピー」という鳴き声がしなかったので不安に思い、急いで階段を駆け上がった。
いつもは玄関の鍵を開ける音をさせただけでも反応するのに。
二階リビングのドアを開けても鳴き声は聞こえてこず。
いつもなら止まり木の上を行ったり来たりして、興奮しているのに、隅っこにうずくまりピクリとも動かなかった。
ゲージをゆらしても起きようとはしなかった。
死後硬直していて身体は硬かったけれど、まだ温かかったように思える。
混乱していて、その時なんと思っていたのかよく分からない。ただ、カメヤンを乗せた手が震えていた事だけ覚えている。
私はずっとそこで泣いていた。
気が付けば外は暗くなっていたので部屋の明かりを着けた。
その明かりで冷静になったのか、カメヤンの棺桶を作った。
けれど、思った以上に成長していて全身がすっぽり入る箱を見つけるのに苦労した。
その晩、旦那は飲みに行ってて帰りは12時くらいになった。
「カメヤン、死んでん・・・」
あとは泣くことしかできず、それしか伝えれなかった。
「どうしてカメヤンが死ぬの・・・・」
棺桶をのぞきながら呟いた旦那の言葉が未だ忘れられない。
その日の朝は本当に元気だった。
いつものようにご飯も食べてたし、いつものように元気よく止まり木の上を行ったり来たりしていたのに。
なんの前兆もなかった。
せめて私が帰って来るまでは生きていて欲しかったのに。
本当に水臭いやつだと思った。
でも、死に際を見なかっただけでも・・・・
複雑だった。
次の日、お葬式をした。
「お骨は拾われますか?」と、業者の人がゆうてくれたけど見たくなかったので断った。
葬儀を終え、火葬。
30分くらいすると、骨壷を手渡された。
泣くかと思ったけれど、私は冷静だった。
カメヤンはうちに連れて帰った。
一羽、残ったオカメ♂が今、寂しそうにしている。
カメヤンからは結構嫌われていたように思えるが、カメヤン生前より大分私に甘えるようになってきた。
旦那や私が仕事に出る時は一羽きりになる。
それを考えたら可哀想だと仕方がなく、「寂しい?ごめんやで・・」と謝るけれど歯がゆさを感じる。
言葉が分かればいいのにと思う。
カメヤンの生涯は本当に壮絶だった。
生まれて二週間。まだ羽の生えきってない赤ちゃんの時、この家に迎えられた。
順調に育っていると思われたが、ある日突然暴れだした。数分でそれはおさまったけれど、ゲージ内は血まみれ。カメヤンは自分が何をしたのか分からないようで、放心状態だった。
そんなことが度々おきたので、病院に連れていったところ、先天的な脳の障害。と診断された。
精神を安定させる薬を投与し、様子をみる。といった生活が続いた。
突然暴れなくなったのは最近のことだ。
「昔はあんなに暴れていたのになぁ~」と褒めていた矢先。
今回のことがおきた。
カメヤンの骨壷を業者の人から手渡された時、正直「終わった・・・・」と思った。
”私が。”じゃなく・・・何て表現したらいいのか分からないけれど、とにかく”終わった”そんな感じがした。
まだ、ゲージはそのままにしてある。
それを見ると、その中の止まり木でカメヤンが行ったり来たりしているあの姿を思い出してしまって、どうしようもなくなる。
片付けた方がいいと思うけれど、カメヤンの全てを終わらせたくなく、なかなか手出しできずにいる。
カメヤンは我が家に来て、幸せだったのだろうか。
ゲージを眺めていて、ふと思った。
もっともっと触れて、一緒に遊んであげればよかったのにな・・・そう後悔する。
まだまだ触れ足りないし、遊び足りなかったと私が思うからだ。
「ごめん」
「ありがとう」
やっぱり死に際に、そう伝えたかった。
カメヤンに申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
今は後悔しかない・・・
昨日の月曜・今日の火曜と、仕事は通常通りこなすことができた。
何だろう・・・
これが現実なんだろう。という儚さを思ったらなんとなく笑けてしまったりして。
先週金曜。うちのカメヤン(オカメインコ)が死んだ。
仕事から帰り、玄関の扉を開けても、玄関から「ただいまーっ!!」って私が帰ってきた事をアピールしても「ピーピー」という鳴き声がしなかったので不安に思い、急いで階段を駆け上がった。
いつもは玄関の鍵を開ける音をさせただけでも反応するのに。
二階リビングのドアを開けても鳴き声は聞こえてこず。
いつもなら止まり木の上を行ったり来たりして、興奮しているのに、隅っこにうずくまりピクリとも動かなかった。
ゲージをゆらしても起きようとはしなかった。
死後硬直していて身体は硬かったけれど、まだ温かかったように思える。
混乱していて、その時なんと思っていたのかよく分からない。ただ、カメヤンを乗せた手が震えていた事だけ覚えている。
私はずっとそこで泣いていた。
気が付けば外は暗くなっていたので部屋の明かりを着けた。
その明かりで冷静になったのか、カメヤンの棺桶を作った。
けれど、思った以上に成長していて全身がすっぽり入る箱を見つけるのに苦労した。
その晩、旦那は飲みに行ってて帰りは12時くらいになった。
「カメヤン、死んでん・・・」
あとは泣くことしかできず、それしか伝えれなかった。
「どうしてカメヤンが死ぬの・・・・」
棺桶をのぞきながら呟いた旦那の言葉が未だ忘れられない。
その日の朝は本当に元気だった。
いつものようにご飯も食べてたし、いつものように元気よく止まり木の上を行ったり来たりしていたのに。
なんの前兆もなかった。
せめて私が帰って来るまでは生きていて欲しかったのに。
本当に水臭いやつだと思った。
でも、死に際を見なかっただけでも・・・・
複雑だった。
次の日、お葬式をした。
「お骨は拾われますか?」と、業者の人がゆうてくれたけど見たくなかったので断った。
葬儀を終え、火葬。
30分くらいすると、骨壷を手渡された。
泣くかと思ったけれど、私は冷静だった。
カメヤンはうちに連れて帰った。
一羽、残ったオカメ♂が今、寂しそうにしている。
カメヤンからは結構嫌われていたように思えるが、カメヤン生前より大分私に甘えるようになってきた。
旦那や私が仕事に出る時は一羽きりになる。
それを考えたら可哀想だと仕方がなく、「寂しい?ごめんやで・・」と謝るけれど歯がゆさを感じる。
言葉が分かればいいのにと思う。
カメヤンの生涯は本当に壮絶だった。
生まれて二週間。まだ羽の生えきってない赤ちゃんの時、この家に迎えられた。
順調に育っていると思われたが、ある日突然暴れだした。数分でそれはおさまったけれど、ゲージ内は血まみれ。カメヤンは自分が何をしたのか分からないようで、放心状態だった。
そんなことが度々おきたので、病院に連れていったところ、先天的な脳の障害。と診断された。
精神を安定させる薬を投与し、様子をみる。といった生活が続いた。
突然暴れなくなったのは最近のことだ。
「昔はあんなに暴れていたのになぁ~」と褒めていた矢先。
今回のことがおきた。
カメヤンの骨壷を業者の人から手渡された時、正直「終わった・・・・」と思った。
”私が。”じゃなく・・・何て表現したらいいのか分からないけれど、とにかく”終わった”そんな感じがした。
まだ、ゲージはそのままにしてある。
それを見ると、その中の止まり木でカメヤンが行ったり来たりしているあの姿を思い出してしまって、どうしようもなくなる。
片付けた方がいいと思うけれど、カメヤンの全てを終わらせたくなく、なかなか手出しできずにいる。
カメヤンは我が家に来て、幸せだったのだろうか。
ゲージを眺めていて、ふと思った。
もっともっと触れて、一緒に遊んであげればよかったのにな・・・そう後悔する。
まだまだ触れ足りないし、遊び足りなかったと私が思うからだ。
「ごめん」
「ありがとう」
やっぱり死に際に、そう伝えたかった。
カメヤンに申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
今は後悔しかない・・・
コメント
本当に悲しくて、淋しいですね。
でも、カメヤンはおふくさんのそんな気持ちに、
ずっと触れられていて幸せだったはずです。
それにおふくさんの心の中にはカメヤンはずっといますからね。
コメントいただきありがとうございます。
そうですかね・・・
カメヤンは本当に幸せだったのかな・・・
100%ではないけれど、少しでも幸せだったと思ってくれていたら幸いです。