仕事始めは今日だった。

うちは基本週休二日だが完全ではなく、土日祝おかまいなしに仕事が入る事がある。
『会社カレンダーによる。』が鬼門。有り得ない話だ(愚痴モンモンだ)

たいがいの企業は4日が仕事始め。
うちは何故か5日の今日・・・

5日という中途半端さに”何故か?”と”自信”が確定できなくて休みの間は会社カレンダーを何回も指差し確認した。(「よし、あってる」と・・・)
そして出社当日になっても信じられなくて今日は心持ち、家を早く出た。
途中、同僚に出会いがしら「仕事って、今日が始めやんな?」とも聞いたりして「YES」の答えに自分は間違っていたなかったのだと、ホッとした。
ヤレヤレだ・・・。

かなりの人&場所見知りなセイか?久し振りの職場にドキドキした。
愛想良くしているつもりでもソレはオモテヅラであって、緊張するのは未だ腹が割れていないセイだろう。苦笑いもんだ。

とにもかくにも始まった。
「しんどい」「寒い」を同僚と何回ハモッタことか・・・。
半ば挨拶と化したその言葉は明日も続けられるだろう。

とにもかくにも・・・明日も頑張ろう・・・。

エエ声

2010年1月4日 好き
さっき”魁!!クロマティ高校”を見ていた。
主人公で寿司屋の息子:神山高志の声が好きだと思う。
それで、ふと、中の人は誰なのか?とエンディングで見てみた。

正解の中の人は”櫻井孝宏”さんという声優さんだった。
「おおっ・・・・」
あのキャラとこのキャラの声をしている櫻井さんのギャップが凄過ぎて。思わず感動してしまった。
マサにミラクル。声優さんには毎度驚かされる。
「どこから声出してんねん・・・?」と。

昔なりたかった職業の中に”声優さん”があった。
今でもチョット・・?『やっぱりなりたかったなぁ・・・』と思える職業だ。

声フェチという訳ではないが、エエ声にはやはり癒される。
そうだな・・・
身近な所で(俳優さんでゆうたら)”竹中直人さん”とか”江守徹さん”とか。
声優さんは数え切れないので割愛しよう。

あ、そうそうそう。
小さい頃はよく自分の声をカセットテープに録音していたな。
その度「自分の声と違うぅぅぅ~」と面白・恥ずかしがっていた。

進学or就職か?の時期に本気で「声優になりたいから東京に行きたい」って両親に嘆願したけれど「ダメ」の一言で諦めた。
そう、タダ諦めただけ。断念した訳ではない。
だから、あの時どうしてもっと強く両親に嘆願しなかったのか?と、未だに思い出しては後悔する。”諦めた”だけであって、”断念した”訳ではないのだから。

あ・・・
こんな話を思い出した。
前職の先輩から聞いた話。
先輩の息子さんが高校卒業の思い出として”ママチャリで大阪から四国方面を目指してどこまで行けるか?”を実験したらしい。
費用は自分がバイトで溜めた稼ぎのみ。後は野となれ山となれ。・・・・
結局四国一周はできなかったらしいが、高知あたりのどこかの道路で引き返して、どこかの大きな橋を渡って大阪に帰ってきたらしい。
・・・・お母さん(←私の先輩)曰く、「あんなアホ、他におらんで(笑)」と。

正直、羨ましく思った。
そんな”大それた事”なんて、若いうちしかできへんし。若いのに”大それた事”ができる程の・・・なんて勇気。
せっかく産まれたんだから。
生きている今を楽しもうって、そう思った。

年々。歳を取る事にソンナ気持ちも忘れてしまっている今日この頃。
「フツーに過ごせるだけで充分」みたいな・・・そんな日々。
今日、エエ声を聞いて、フト思った事から昔の事を思い出し。

ちょっと長目の日記を書いてしまった。
明日も頑張ろう・・・

三が日も終了

2010年1月3日 日常
終わったなぁ・・・
ホント終わってしまった。

さて、お祭りボケが残らないよう気持ちを切り替えていかなければ。

「なんで休みが過ぎるのは早いんだ!?」
お昼に洗濯をしながらぼやいていた頃、「ピンポーン」とインターフォンから呼び出しがかかった。
「お届けモノですー」と宅急便のおっちゃん。
いつもと違う人なだけに、世知辛いこの世の中・・・何が起こるか分からないぞ・・・とかなり警戒しながら玄関のロックをはずした。

「○○○○さんへのお届けモノですー」
「あ、どうもゴクロウサマです・・・」
「んじゃぁ、ここにサインをー」
「あ、どうもです・・・」

難なく取引は終わった。
荷物の内容は・・・。成る程、年末に頼んでおいた旦那の髭剃り。
お正月なだけに宅配の方もローテーションで頑張っているのだと・・・、少しでも疑った自分が恥ずかしく思った。

あー・・・
もう働いている方もいらっしゃるんだな・・・
そういえば年賀状だって人の力がないと届かないもの。
新聞だって、電気だって、水、ガス・・・だって。

人間、誰しも楽しくラクな事を求めてしまう。それは仕方ない事だ。ボヤキも出るもんだ。
でも、
自分が今満足な生活を送られている事に感謝する気持ちだけは忘れずに日々を送らなアカンと思い返した。

年始真っ只中の街並みは『シン・・・』と静まり返っていた。
(大袈裟かもしれないけれど)時が止まった空間のように思えた。そんな中に居る自分は何の危機感も焦りも制限もなく。何だか凄くワクワクした。
しばし現実を忘れていて・・・
そんな気持ちが続いていたセイか?

「アカンアカン」

さて。
明日の街並みはどんなだろう。明日も頑張ろう。
正月恒例
正月恒例
正月恒例
私の中での”ニッポン人正月三原則”。
”時代劇・餅・初詣”

時代劇は最近少なくなったような感じがしないでもない。楽しみしているだけにチョット寂しい気がする。
餅は・・・、嫌いではないけれど大の苦手なのでよっぽどの事がないと・・・。因みに団子も苦手だが、雪見大福(アイス)は好き。

そして、初詣。
(さっき”小吉話”した所へ)行って来た。”玉造(たまつくり)神社”という所へ。

予報では日中6℃との事であったが、体感温度は絶対0℃位だった感がある。
こんなク○寒い中をチャリで40分。
強風の吹く中を頑張らさせていただいた。(神様、こんな私を見て下さいませ)

「ここに行きたい!」
という目的もなくタダ何気に「行ってみようか?」と、向かった神社は私的にかなりパラダイスで。「来てよかった」と満足できた。(御籤の件は除き・・・だが)

・少々小ぶりな神社であったが人気が高いのか?参拝は凄く並んだ。
 それ程由緒ある所なのか?(満足其の1)
・神社奥には”分祀”、”歴史スポット(この地は大阪城三の丸だったとか)”有りで。
 豊臣秀頼公奉納の鳥居(慶長三年とあった)は特に興奮した。(満足其の2)
・”玉造”なだけに”勾玉作り”。家形埴輪の建物があった。
 地域資料館(有料・予約制)らしい。なぜ神社境内に!?と笑けた。(満足其の3)
他諸々有り。

いやしかし。楽しめたのはいいが、なんせ寒過ぎた。
そしてお手洗いへかなり行きたかったけれど、残念・・・簡易トイレしかなかった。
ただでさえ外のトイレは苦手で、家トイレを愛して止まない私は「簡易は絶対イヤ!」と、旦那には悪いが即効帰るハメになった。

お陰様でトイレは間に合ったけれど、神社をまだまだ探索したかったな・・と後悔した。
年のしょっぱな・・、こんなんでエエのか?

まぁ、でもそれなりに楽しめたし。
ヨシ。としておいた。

凹むわ。

2010年1月1日 日常
「しょ・・・・、小吉かよ・・・」

初詣に行ってきた。
この”神社セオリー”はアクマデモ噂だが、年始はだいたい大吉籤率を高めに設定しているらしい。
そりゃそうだ。
そんな年始から”小吉”って・・・、”小吉”・・・・って・・・。私って一体・・・。

待ち人、来ず。
売買、避けよ。
紛失物、出ず。
旅、気を付けよ。
恋愛、良ければよし。
病、難しい。

だ、そうな。
そんなキッパリ『ダメ』って言われてもや・・・。
今更”恋愛”は別にどうでもいい事だけれど、可でもなく不可でもない、この、なんとも言えない残○感。

まぁ、今年もソレナリに頑張ろうと思う。
ここへ来ていただきました皆様。いつもありがとうございます!
明けましておめでとうございます。

今年、皆様が楽しく幸せでありますように・・・。です。

私も・・・
嗚呼・・・
いつも楽しい日々を送りたいって願わずにはいられないけれど、まぁ、辛い事があってナンボ。そこから学べるモノもあるから、一つ一つの出来事を大切に生きていこう。

ここで、今年の抱負。
『今年こそはオトナになる』

どんなのが”オトナ”なのか分からないけれど、いつも「私ってなんて子供なんだろ・・・」と思って止まない私。
取り合えず、しょーもない事で反省する事のないようにはしていきたい。
それが、一歩か??

うだうだオトナ話したけれど、取り合えず今年はそんな感じで。
ファイト。
何故終わらない・・
掃除。

目標としている箇所を中心にしているつもりがやはり今日も・・・
枝分かれしてしまった・・・
という悲惨な状況にて、今日も中途半端に掃除終了してしまった次第。
気が付けば外は暗く、雨も降り始め・・・
「うがーーーーーーーーーーっ!」・・・ヒサシのない窓を開けっぱなしにしていた部屋に行ってみると雨が噴きこんでいるし。(また掃除のネタを増してしまった悲劇・・・)

因みに旦那は明日まで仕事らしい。何々だ・・・全く・・・

そんなこんなで。
明日こそ頑張ろう。(考えてみれば”いつも”だ・・・)

さて明日・・・

2009年12月30日 日常
掃除
やり残した事、多々あり。
明日に終わる事を信じて励もう・・・

年賀状
計算違いで枚数足りなかった人あり。
明日に買い足し無事届く事を願おう・・・

本当にせわしない年末だ。
今日もあと約30分。
今年もあと約一日30分。

ほっんとワクワクする。

考えてみたら、年が変わるだけで何かが変わる訳でもない。
されどなれど、どうしても気持ちが弾んでしまう。

旦那は6時位まで仕事なのだから一人ギリギリの年末になる。
さて・・・
明日は修羅場となるだろう。

取り合えず今は気合でいっぱいなそんな所だ。

テロンテロン。

2009年12月29日 日常
31日は全国的に荒れるらしい。天気が。

ので、今日から仕事休みに入ったのを機に大掃除を開始する事にした。
初日は床と壁と棚と家具の磨き仕事に決定。
朝8時。会社に行く旦那を見送った後ちょっと休憩(心の準備というか・・・)し、いつもになく重い腰を上げ、着手した。

計画性のない私・・・
アチャラコチャラに手を出しては、軌道修正したり。
棚・家具は完璧に仕上げる事ができず、断腸の思いで明日に持ち越した訳で・・・。

ってゆうか・・・
外が薄暗くなったのに気が付いた時点で「私、何してるんやろ?」と切なくなったというか、疲れたというか・・・なんというか・・・
用は”厭きた”訳で。
時計を見たら17時ちょい過ぎで『まだまだやれる時間だけど・・・』と一瞬迷ったけれど『明日がある』から、もう何でもよくなっていた。

掃除のお道具を直しにチンタラ階段を登っていた時に気が付いた。
「床っ!テロンテロンやんっ!」
意識して床を歩いたらテロンテロンが足の裏で感じられて、気分が良くなってきたので靴下を脱ぎ捨て床を歩いたらキュッキュッと音が鳴って、更に気分が乗ってきたので全部の部屋を歩きたくなってきて。
「・・・私、ホント何してるんやろ?」
”気が付いたら”シリーズになるが、足が冷たくなっていて&外はすっかり暗くなっていて。
足は痛いし、お腹は空くし。しょーもない事に夢中になった代償は高かった。

ほんと、トホホ話だ・・・

床や棚へのワックス掛けは年に数回しかしないから、毎度毎度”テロンテロン”の完成度にビックリさせられる。
今日の感動度合いはマックスに近いと思われる。
トホホの裏に感動有り。
”荒れる”と言われる31日はなんとか避けたい所だ。
明日は本腰入れて頑張ろう。

最後の締め

2009年12月27日 TV
勝った・・・

ここ何週か”あいこ”か”負け”かであった。
それが今日、さざえさんにとうとう勝ってしまったのだ。

サザエさんは”パー”
私は”チョキ”

今年最後の勝負・・・。縁起がいい。

さてと・・・。明日も仕事だ。
なんだか頑張れそうな気がした。

因みに・・・
サザエさんとマスオさんは見合い結婚らしい。
意外過ぎだ・・・
『クリスマス二日目』と言ってよいのか?

ただただ肉とケーキを食べ、楽しく過ごす二日間!
”イヴ”と”クリスマス本番”の意味がよう分からん仏教徒な私のクリスマスの過ごし方がこんな感じだ。

今日は週末(しかし明日も私は仕事だ)。そして今日はクリスマス。
最高の”曜日配列”だ。と、世の男女はそう思っているだろうに。
神様もなかなか粋な配列をするもんだ。

例の如く残業な今日もチャリを飛ばし家路を急いだ。気のせいか?道路はババ混み状態。
そんな趣味はないが「やっぱりカップルが多いんかな?」と、どうしても車中に眼がいってしまう。
「やっぱり」
7割・・・は言い過ぎか?(頑張って)6割はそんな感じで。

そう言えばここ何年か”待ち合わせ”なるものをしていない事に気が付いた。
『久し振りに・・・』
とは思うが、柄じゃないし。自分の中で即却下した。

お?
気が付けば今日も後30分。
街中のツリーも撤去され、クリスマスのお次は”年末モード”へと突入。せわしない日々が続く今月は楽しいと思う。
この二日間、おもしろい街並みを見させてもらった。
次ぎの年末な街並みにも期待しよう・・・。
年末は忙しい故、ここの所”早出&残業”の日々が続いている。
・・・という事で、悲しきかな今日もそんな感じであった。

ところでウチ(家)は・・・
オカゲサマで近所にはスーパーが何店か存在しているという恵まれた(?)環境にある。おばちゃん真っ盛りな私にとって最高のシュチュエーション(←正解だろうか?およそこんな感じでカタカナにしてみた)だ。

『あのスーパーになかったら、今度はこっちのスーパーにイザ!』と、スーパーのハシゴができる所が良い。

今日も無事仕事が終わり、”例の鳥足肉の、クリスマスに食べる、あの、有名な照り焼きのヤツ”をゲットしにチャリをとばした。
時間も時間だったから「あの、例のクリスマス肉は残っているだろうか・・・」と不安にかられながらも、まずは一番ご贔屓にしている関西地方ならではのスーパーへ直行した。

『流石、今日の日』
スーパーに入った、小市民な私の心の第一声。
買い物客でごったがえしているいつもの時間帯だというのに、いやサスガ、スーパー内は閑散としていた。
『今頃は家族でクリスマスパーティーとかやってるんやろうなぁ・・・』
プチトマトのコーナーにて首をかしげているOL風のお姉ちゃんを不思議に思いながら、家族パーティーにホッコリしていた。

無事残っていたクリスマス肉もゲットし、帰り道を急いだ。

途中
ピザ屋さんのバイクに追い抜かれたり、おそらくプレゼントであろう大きくて色とりどりの袋を片手に鼻歌を歌うサラリーマンを追い抜いたり、寒空の中にて店の前で売れ残ったケーキを叩き売りするサンタ姿のコンビニ店員をスルーしたり・・・
帰り道も色々と楽しめた今日の日だった。

たまには街の雰囲気を感じるのもイイもんだ。
そう思った。

香り

2009年12月23日 好き
香り
香り
寒い。寒過ぎる。
そんな中のお風呂掃除&洗濯は「はいはい、やりますよ。やればいいんでしょぉー」で始まり、「あーしんどぉ」で終わる。勿論、大きい独り言にすぎないが・・・

家事はサボったらサボっただけ後で自分の負担になってしまう。
寒かろうが、暑かろうが、やならきゃならない事。
まぁ、家事というのは自分らのお世話みたいなもので、結局自分の為なのだから文句ゆうても始まらないことではある。けれど、全く・・・好きになれないお仕事だ。

そんな私でも一旦掃除を始めると、当初は一箇所の掃除だけのツモリが更に更にエスカレートして、あちゃらこちゃらに手をつけてしまい酷い時には一日中掃除をしていたが終わらず・・・、次ぎの日も掃除をするハメになったという事がある。
友達曰く『典型的なO型さんに見られる傾向』だそうだ。
所謂、計画性がない。という事。
全くだ。言えてる。

そんなこんなで、さっきまでお風呂掃除と洗濯をしていた。

お風呂掃除は普段できない所まで磨く作業。
専用洗剤のレモンの香りに癒されながら「寒い」を何回口にした事か・・・
掃除が終わった後で手の感覚が失われているのに気が付いた時「死ぬわ・・・」と思わず一言。
考えてみればこのくらいでは死ぬ訳ないのに。と一人で笑ってしまった。
(そんな自分を”しょーもなっ”と思って、また笑った)

洗濯は洗濯機さんがやってくれる(いい世の中になったもんだ)ので、後は干すだけ。
”干す”という行為がこれまた難儀。
柔軟剤の香りに癒されながら「寒い」「冷たい」「めんどくさい」を何回口にした事か・・・
お風呂掃除と同じく手の感覚が・・・
「絶対死ぬわ」(そんな訳ないか・・・)

でも、その後に(小さくはあるが)ご褒美みたいなものがある。
ウチは基本部屋干し(風の強い一番上の階を窓全開にして干し、扇風機で風を送るとナカナカ乾きが良い)なのだが、そこから階段を伝ってくる柔軟剤の香りが家中に広がるのが幸せなのだ。
それが、ご褒美。
冬は残念ながら各部屋を閉め切っているからその香りは階段限定のものとなるが・・・

”ダウニー”だけではなんとなく柔らかさが足りない??から、昔からご贔屓にしている”ファーファ”と混ぜこぜしているウチの柔軟剤事情。
本当に(混ぜは)良いのか?と疑問に思いながらも、それがクセになってしまってるから仕方がない。

そうそう・・・
近くのスーパーで買い物をしていた時、聞こえてきた若いカップルの会話に「うへっ」と思った。

彼女:「ダウニー。もう切れてんけど、ここで買っとこか?」
彼氏:「えぇー、俺もう、ダウニーの匂い厭きてんけどぉー」
彼女:「えーっでも、香りめっちゃエエで?」
彼氏:「なんか、こう・・・もっとリッチな匂いとかないんか?」
彼女:「リッチって・・・。ダウニーもリッチやで?」

・・・会話はそこで聞こえなくなったが、あのカップルは今もダウニーなのか?それともなんかリッチな柔軟剤に有りつけたのか?
かなり気になる事だが、しかし・・・『厭きた』って・・・。
それ(香り)に満足している自分がちょっとコッパズカシイ気持ちになってしまった。

が、いいもんは良い。

今日もブレンド柔軟剤(←タイソウか?)に満足しながらも「寒い」「冷たい」「めんどくさい」を連呼し、好きになれない家事は終了した。

100人の村

2009年12月21日 思考
『もし現在の人類統計比率をきちんと盛り込んで. 全世界を100人の村に縮小するとどうなるでしょう・・・』

で始まる”100人の村”。

最近、自分の事がしょーもなく思う場面が多々ある。
酷い時には、”凄く寒いから”と言ってイライラしたりと・・・・

生活面では毎日ネットしたり自分の好きな事したりと充実しているハズだ。
仕事面では(実働時間に限りだが)以前の職場よりはキツイ事ないし。

特に私に当てはまる事なのだが・・・人間というものは一旦ラクをすると更に更にラクを求めてしまって以前していた努力も忘れガチになってしまう。
又は、そんな努力をしていた頃を思い出し「信じられへん」と投げガチになってしまう。
「こんなんじゃダメだ」と反省だけはするのだが・・

フイに、”100人の村”を思いだした。
今、こうしてパソコンの前で日記を書いている。暖房をつけ、パソコンの右側には冷酒もある。
私の周りは好きな事だらけで、十分なハズだ。
世界の何パーセントの方々より恵まれている、十分な生活のハズだ。

さて・・・
明日も仕事だ。頑張ろう。
でも・・・
「喉元過ぎれば熱さ忘れる」とはよく言ったもので・・・
明日は早番だ。(チッ)
と、まぁ、「文句の一つや二つ言わせてくれ」状態でも、恵まれているハズの環境に生まれた事への感謝は忘れず。
明日も頑張ろう。

年末話題Ⅰ・Ⅱ

2009年12月20日 季節
まず、有線大賞。
よく分からないけれど、氷川君5度目の優勝おめでとう。
しかし・・・どうしてくれるんだ?さっきから、あの「ルンバ」の曲が凄く頭を駆け巡って離れてくれないこのリピートっぷり・・・。
大変だ。恐らく明日もあの「ルンバ」がBGMとして君臨する事になるのだろうか・・・
取り合えず氷川君、おめでとう。

そして、M1。
本当に分からないけれど、(名前忘れた)漫才の人おめでとう。
さっき携帯を”パカっ”と開けた所、デスクトップに流れるニュースに『M1王者は○○(長いカタカナの人達)~!』と。
・・・。
なんで、こんな短文メッセージだけで知ってしまったんだろ・・・。
そんなテンションで「ふ~ん・・・」なだけに、自分の中でこの話題はこのまま終わってしまった。
いや、毎年M1は気にしている訳でもないのだが、知ったら知ったで「へぇ~」と思うのが人間のナニガシというものだろう。
しかし今年は携帯のたった1文で知ってしまい、経過も何もあったもんじゃなく・・・。
まぁ、明朝の”特○ネ!”で知る事となるのを期待しておこう。

取り合えず、漫才の人、おめでとう。

着々と年末に近づいていってる。
そうそう、今日はエアコンの隅々を掃除した。
普段掃除しているつもりがイザ隅を見てみると面白い程にホコリというものがタマっているものだ。
さて・・・
来週はドコの隅を片付けようか。

そうそう、相変わらず「ルンバ」が離れない・・・
年末は大変だ。

美人発見

2009年12月16日 思うに・・
美人発見
美人・・・?
”人”じゃないな。
美鳥・・・?
”鳥”だ。

羽色のデザインがシンプルで、とにかく瞳が綺麗な鳥。
”ソデグロバト”というらしい。確かに袖が黒いハトさんだ。
まんまだ。

”名前”というものについて考えてみた。

何日か前にどこかの企業が毎年恒例の”名付けランキング”なるものをしていた。
一位から~
男の子 → 大翔(ひろと)、翔太(しょうた)、蓮(れん)
女の子 → 凛(りん)、さくら、陽菜(ひな)

私の本名は三文字(勿論、オフクではない)で、二文字の名前の子より一つ多い名前だ。
そんな三文字の名前がイヤだった時があった。

小学校自分。テスト開始。一番初めにする事は名前を書く事。
私が名前を書いている間に、二文字の子はスデにテスト問題に入っているんじゃないか!?と、小さい身体の小さい器でそんなしょーもない事を思っていたものだ。

私が思うに、今は先生が苦労している時代か?
当て文字?
そんな名前が多く、中には当て漢字なるものが存在している。
私曰く、”米国”と書いて”アメリカ”と読むようなそんな感覚なのか?ご両親はよく考えついたものだ・・・と賞賛したい。
それだけ産まれてきた子には愛情を注いでいるんだろうなぁ・・・。と。
しかし、学校の先生やらは大変だ。
同情する。

”ソデグロバト”か・・・
そのハトさんは、そう呼ばれてどう思っているのだろうか?
『袖じゃねぇよ、羽だよ!』なのか?
いや、
『羽先を袖だと・・・。いやぁ、乙だねぇー』か?

付けるべくして付けた人が考えた事なのだから、本人が気に入ろうが入るまいが仕方がない事だ。(言い方変だけど)

以前、母親から私の名前の由来を聞いた。
今では自分の名は大のお気に入りとなっている。テストも無い歳にもなった事だし(笑)
生涯呼ばれ続けるこの名前。
いい名前でよかった。
そう思った。
奥州土産
奥州土産
奥州土産
昨日の夜、奥州出張より旦那が帰ってきた。

行く前々日。
おふく : 「土産、何が欲しいと思う?」
だんな : 「basaraモノとか?」
おふく : 「よう分かったなぁ」
だんな : 「まぁ、それはいいとして・・・」
おふく : 「いいんかい!」
だんな : 「仙台と言えばやっぱり牛のベロちゃう?」
おふく : 「・・・期待せんと待っとくわ」
だんな : 「あー、そうしといてぇ」

そうして買ってきたのが、
二頭身キャラの笑顔に癒され”政宗(様)ボールペン”。
(旦那にしては気を利かした)夢のコラボレーション”政宗(様)×小十郎ビール”。
独眼竜ネームも眩しい、お得感満載の枡付き辛口一本”独眼竜政宗酒”。
そして、普通に牛タン。
以上。

期待通りの土産だった。嬉しかった。
ボールペンは意外と書き易いので気に入ってしまった。
飲み食べ物は週末までとっておくことにした。

(熱で)調子悪かった昨日も、色々なアイテムに少し癒されるようだった。
週末が楽しみだ。

そうそう・・・
近々気温が一桁台に突入するらしい。
風邪、ぶり返さないように気をつけよう。
酒、楽しみ・・・

季節の方

2009年12月15日 日常
ようやく熱が下がった。

吐き気・高熱・関節痛・眩暈・・・
私の中の通常とは別格。あまりにも酷かったから「もしや・・・(汗)」と思っていたが・・・
どうやら”新型”ではなかったらしく、それだけでなんだか風邪が治った気がした。
けれど今回の風邪はナカナカの強敵だった。
こうやって無事、生還できたこと。神様仏様に感謝しよう。

しかし「何故???」
体重400g & 体脂肪2% もの、増・・・
あまり。というか全くと言っていい程、飲み(酒)喰いしなかったハズだが・・・

意識もすっかり戻り、気持ちに余裕ができた頃「1kg位は減ってるんちゃうんっ(楽)♪」と、気分良く体重計に乗ったソノ時の凹み様・・・。
そして、明日からフツーに仕事が始まるというこの現実・・・。

明日も一日頑張ろう。

カルメアデスの板

2009年12月11日 思考
この(下記)話を目にして、一瞬”カルメアデスの板”を思い出した。

兵庫県宝塚市の病院長が今年10月と11月、医療従事者に限られていた新型インフルエンザのワクチンを孫に接種していた。院長は「不正は認識していた。孫がぜんそくで、小学校の受験を控えて心配だった」と説明した。
尚、兵庫県で持病のある人や妊婦に接種が始まったのは11月16日だった。
(9日付:厚生労働省発表)

・カルメアデスの板・
難破して漂流している人が一枚の板にしがみついている。そこに別の漂流者がしがみつこうとする。でも板には一人分の浮力しかない。
そのとき自分が助かるためにもう一人を突き放しても罪にはならない。
という。
・・・そんな論理。

・院長の考え・
喘息持ちでお受験を控えている可愛そうな孫。そこに別の同じ境遇にある子供がいた。でもワクチンは一部関係者でしか使えない。
そこで、孫が可愛くて仕方がない院長は『孫が助かるのであれば・・・』と、関係者外の孫に投与してしまう。
という。
・・・そんな”院長も院長の孫も助かった(かどうか知らない)し、これは身内だけの内緒の話。けれど、他の人は助からない”論理。

あれ?・・・
”カルメアデス”のように、どうしようもない状態でもないじゃないか?・・・
一瞬で話は覆った。
カルメアデスでも何でもない話だった。と。

所謂『怠慢』。
所詮『怠慢』。

日本含め、全世界で多くの子供が命を落としている。
どれ程のぢぃちゃんが悲しんだ事か。ぢぃちゃんだけでなく、家族や友達や・・・。

まぁ、しかし・・・先生という職も辛いと思う。
自分も、自分の家族も他と平等にしなきゃならないのだから。
院長さんの気持ちは分かる。
でも、”特別な命”というモノはないと思う。
医療の”先生”と呼ばれている方なのだから、命は平等なんだという事を忘れないでいて欲しかったと、そう・・・残念でならなかった。

(心の弱い私みたいなのんが医者でなくて良かった。・・・・あ、でも、その前に、アポンな私が医者になれる訳ないか:笑)
パール・ハーバーの名で有名な日本軍による”真珠湾攻撃”がされた日。
所謂、太平洋戦争勃発の日だ。
※”パール・ハーバー”を”真珠湾”と訳すには異論があるらしい※

ある新聞の記事にこんな言葉があった。
『終戦の日はだれでも知るが、開戦の日の認知度は低い』と。

確かに私も、である。
また、
『始まりがあって終わりがある。開戦の反省と敗戦の悲惨をもっと知るべし』とも。

私は宗教・政治等の関連の人でもないし、評論家でもない。
戦争を全く知らない、単なる一般市民だ。
しかし、毎年8月15日正午には必ず黙祷を欠かさずしている。
何故かというと、小さい頃に(大正生まれの)ばあちゃんから戦争の話を随分と聞かされた(←当時は”聞かされている”という感覚だった)からだ。

フツーに・・・いや、超おいしいサツマイモをばあちゃんは嫌いだという。
「何故?」
って聞いたら、「戦時中はサツマイモしかなかったから」なのだそうだ・・・
まだ小さい私はその事を理解できずに、ばあちゃんの事を「贅沢な人だ」と逆に思ってしまったのを今でも覚えている。恥ずかしい話だ。

「ぢいちゃんは何で死んだの?」
仏壇の上にある軍服姿の若い男のモノクロ写真を見ながら聞いてみた。
「知らない。帰ってこなかったから知らない」
「ふーん・・・」としか言えなかった。

孫の私が言うのもアレだが、写真のぢいちゃんは綺麗な顔をした人だった。
生前のばあちゃん(そのばあちゃんも私が中学の時に亡くなった)は、小顔でホリの深い華奢な人だった。
結婚生活は短かったであろう・・恋愛結婚でなかったにせよ、2人の間に(うちのおとん含め)男の子3人が生まれている。
3男な私の父だけが、ぢいちゃん(父の父)の顔を知らないのだと言う。

どうだろう・・・
色んな事が頭をよぎって仕方が無い。
2人が現代に産まれていれば・・・。と思って仕方が無い。


”戦争に至った経過には様々な要因が絡んでいて、仕方の無かった事”
分かりたくないが、”分からないでもない事”だと、一応している。
毎年行われる”戦没者慰霊式にて、偉い人が「(戦争を経験した方々が減っていく中で)戦争の惨さを伝えていかなければならない」とおっしゃっている。
大切な事だと思う。

(今迄知ろうとも思わなかった事に)恥ずかしい話、今日のこの日は新聞を見て初めて知った。
もっとその日その日を大切に生きよう。
そう思った。

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